名字の言ブログ

聖教新聞の名字の言を毎日載せていきます。

名字の言 「一人」に寄り添い、「一人」の幸福のために

日蓮大聖人のもとに、富木常忍が母を亡くした報告に訪れた。常忍の夫人がずっと献身的に介護してくれたという。それを聞かれた大聖人は、すぐさま夫人宛てに筆を執られた。「ご主人が『母の臨終が安らかだったことと、あなたが手厚く看病してくれた真心は、いつまでも忘れられない』と喜んでおられましたよ」(新1316・全975、趣意)▼常忍は鎌倉幕府御家人に仕える武士。妻への日頃の感謝を素直に示せずにいた。そんな夫の心の内を伝えてもらった夫人は、どれほどうれしかったか。夫妻のために心を砕かれた大聖人のご配慮のこまやかさに感動する▼大聖人が門下にしたためたお手紙を拝すると、一人一人が悩みや試練を乗り越えゆくよう、人生相談や生活指導があり、時には弱気を打ち破る激励も。現実に即した具体的なご指南が多い▼仏教学者の中村元博士は言う。「『法華経』が特殊な哲学を述べていないという点に、かえってこの経典の重大な哲学的立場を読み取ることができる」(『インド思想の諸問題』春秋社)▼仏法は、人間を離れ、実生活を離れた理論などではない。現実に生きる「一人」に寄り添い、「一人」の幸福のために祈り尽くす振る舞いこそ、仏法の真髄である。(訫)

名字の言 「日本を今一度せんたくいたし申候」

動乱の幕末を駆けた坂本龍馬。その桁外れの発想や闊達な行動力などの人間性は、現存する手紙からも想像できる。姉の乙女に宛てた私信にある「日本を今一度せんたくいたし申候」との有名な文も、その一つであろう▼“一国を丸ごと、きれいに洗ってしまおう”とは夢のような話だ。だが、龍馬の言葉となれば単なる夢物語ではなく、身命を賭してでも実現する覚悟を行間に見る思いがする。こうした“本気の夢”の大きさは、それを描く“人間の心”の大きさを表している▼かつて、池田先生は創価学園生から質問された。「先生の夢は何ですか?」。先生は「戸田先生の夢を実現することです」と答えた。後に先生は、この出来事を述懐しつつ、恩師である戸田先生の夢はどれも大きかったこと、そして、その全てをかなえたことをつづった▼さらに、今、夢の実現に挑戦する未来部の友にエールを送り続ける理由をこう述べた。「みなさんの勝利もまた、私の夢だからです」と▼他者の幸福に尽くした分、自身の境涯は広がっていく。今月16日に未来部躍進月間が始まる(8月31日まで)。心に大きな夢を描き、努力を重ねる後継の友を最大限に励ましたい。共々に一歩前進の成長を刻む夏とするために。(城)

名字の言 『大漢和辞典』の諸橋轍次博士が再起した理由

大漢和辞典』は、“世界最大の漢和辞典”として名高い。その完成までに、漢学者の諸橋轍次博士は30年以上の歳月を費やした。この間、博士は何度も苦境に立たされる▼1945年2月、東京への空襲により、1万5千ページ分の版と資料が一瞬にして灰となった。追い打ちをかけるように、右目を失明。編纂を共に進めていた4人の友が亡くなった。妻も失い、編纂事業から一時、距離を置いた▼博士が再び編纂を開始する力となったのは、友の存在だった。大修館書店を創業した鈴木一平氏は、会社を挙げて事業に取り組む決心を博士に伝えた。写真植字の技術を発明した石井茂吉氏も、協力を申し出た。こうした人々の支えによって、辞典は完成した(『私の履歴書24』日本経済新聞社)▼大望を抱く者には必ず、それを共に進める友の存在がある。御聖訓に「異体同心なればかちぬ」(新2054・全1463)と。大きな理想の実現は、一人ではできない。創価の運動も、幾多の同志の献身によって、地域・社会へと大きく広がってきた▼この上半期、誰しもお世話になった人がいるに違いない。たとえ一本の電話でも、その人へ心からの御礼を伝えたい。感謝の心から、新たな前進の力は生まれる。(澪)

名字の言 わずかなしぐさに思いを馳せる

2022年7月12日
 
 近代看護の母・ナイチンゲールの言葉に、良い看護師は「患者に向かって、どう感じているか、どうして欲しいか、といった質問などめったにしない」と。ゆえに「患者の顔に現われるあらゆる変化、態度のあらゆる変化、声の変化のすべてについて、その意味を理解《すべき》なのである」と訴えた(『ナイチンゲール言葉集』現代社)▼これは看護の世界に限らないだろう。胸の内を言葉にするのが苦手な人のわずかなしぐさを見逃さず、心に寄り添うことは大きな励ましになる▼病で足の不自由な女性部員。周囲の心ない態度に傷ついたことも。それでも青年時代、何度も弘教に挑戦した。しかし、対話は実らず、“私なんか……”と落胆した▼そんな中、女子部合唱団の一員として参加した集いで池田先生との出会いがあった。彼女は気後れし、団員の後方に下がってしまった。その行動を先生は見逃さなかった。すぐに彼女のそばへ歩み寄ると、包み込むように励ましを。彼女は“私らしく広布に生き抜く”と誓った▼彼女は今、1人暮らしの高齢者や、多忙で会合に参加できない友の激励に歩く日々。相手がふと見せる表情やしぐさにも心を配り、“何としても幸せになってほしい”と慈愛を届けている。(白)

名字の言 染色家として活躍する鹿児島の女性部員

2022年7月11日
 
 鹿児島県の奄美大島で晩年を過ごし、孤高の日本画家といわれた田中一村。先日、彼が描いたとされる風景画など9点が、奄美市内で見つかった。大島紬の染色工として働きながら創作を続けた一村の家の近くには、染色を行う泥田が今も残る▼「昔の泥田は男性ばかり。私は端っこで染めていました」。同市に、染色家として活躍する女性部員がいる。結婚後、一度は染色から離れた。夫が会社勤めから農業に転職し、生活が一変したからだ▼不慣れな農作業、3人の子育て。不作で多額の借金も重なった。それでも“この信心で必ず幸せになってみせる”と、時間を工夫しては学会活動に励んだ▼家業が軌道に乗った20年ほど前から、再び染色の道に。人づてで評判が広がり、作品はふるさと納税の返礼品にもなった。島の文化を伝えたいと、保育所などで「染めもの教室」も行う。「楽しい時も苦しい時も題目。おかげで、いつも“今が一番幸せ”です」▼泥染めは、泥につけるほど色の深みが増すという。人の生き方も同じだろう。ぬかるみにはまるような苦難にも、負けない心で紡いだ人生行路は、時を追うごとに輝きを増していく。不屈の祈りと挑戦で、わが人生を“幸の色”に深く深く染め抜きたい。(巍)

名字の言 良き出会いが幸福の土台に

2022年7月9日
 
 岐阜県の小さな町に、人々が気軽に集い、「ここに来るとホッとする」と親しまれる飲食店がある。今は、コロナ禍での営業で少し寂しいが、店主の女性は至って意気軒高。「いろいろな方と出会えたのが私の財産です。友人の数だけは誰にも負けません」▼草創期に活躍した母の背中を見て育った。「自分の決めた道を真っすぐに貫く人でした。人間が本当に大好きで、相手のためなら何でもしてあげる人でした。自慢の母です」。親の心を受け継いだのだろう。地域の人から「お母さんと一緒だね」とよく言われると笑う▼彼女に大きな影響を与えた人がもう一人いる。兵庫県で飲食店を営む女性で、信心根本に進む不撓不屈の人。岐阜の女性は「その方の半生を伺いました。広布一筋に生きる人生の素晴らしさに感激し、ものすごい生命力に圧倒されました」▼この出会い以来、彼女は生まれ変わった。「私が創価学会」との自覚が一層、強くなり、何があっても微動だにしない自分に成長した。「あの人は何でも一生懸命だから、皆に好かれるんやろうね」と兵庫の女性▼池田先生は「人間関係には、その人の境涯が表れる」と語る。良き出会いを重ねた分だけ、境涯は広がる。人生の幸福の土台は構築される。(側)

名字の言 七色の友情のアーチを架けよう

北海道の女性が「愛知の友人と久しぶりの電話で、楽しく話ができました」と声を弾ませた。友人とは「ポルトガル」が縁で知り合ったという▼女性はかつて、家族でポルトガルに住んでいた。その時、日本でレストランを営む友人が、ポルトガルの家庭料理を学びたいと、つてをたどって、はるばる訪ねてきた。以来、彼女はその友人と親交を深めてきた▼女性は夫の仕事の関係で、海外を転々とした。その中で、国内の各地にも多くの友情を育んできた。先日、神奈川で本紙の購読推進が実った。一つ一つの友情は一朝一夕に築かれたものではない。一回の出会いを、その場限りで終わらせず、相手の幸福を祈り、真心を尽くしてきた▼仏の異名にはさまざまある。日蓮大聖人は仏を「大橋梁」(新53・全188)とも譬えられた。仏法者とは、人と人の間に心の「橋を架ける人」にほかならない。崩れない、確かな“橋”を築こうとすれば、時間もかかり、労も多い。しかし、だからこそ自らの境涯が大きく開かれる▼広宣流布といっても、どこか遠くにあるのではない。今いる場所で、地道に絆を育むことにある。一度結んだ縁を大切に!――この誠実な振る舞いで、七色に輝く友情のアーチを描きたい。(嶺)